日本のミュージカルのために。。。


by zatoumushi
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2007年 10月 19日 ( 3 )

★ブロードウェイ Part 2  BROADWAY PART 2 1981-1985

大平和登 箸 

作品社 刊

1985年 9月30日 発行

329p

\2200


【目次】

まえがき
ノスタルジィー・ブーム
イギリス劇作家の活躍
新旧舞台の感動
「キャメロット」とバートン伝説
ブロードウェイに招かれた人々
サーカス・ミュージカルの登場
失われた青春
劇的な、余りにも劇的な
半世紀を経た異国での初演作品「自殺」
「ブリガドーン」再演
死の季節からの出立
新保守主義の台頭と対立
死んだ鴎  二つのチェーホフ舞台ほか
モーツァルトは毒殺されたのか?
死の転生  その未完と完成
シェイクスピア劇の競演
「ナポレオン」/サボイ・オペラ/ペンギン譚
ミュージカル明暗
「通俗化」の失敗作と「日常化」の成功作
おかしくない喜劇舞台
夫婦劇の衰弱  「父親」から「ローズ」へ
ステージ・ナンバー・ワン=ローレン・バコール
エリザベス・テーラーなんか怖くない
「蜜の味」の濃さ
老いて輝く褐色のエネルギー
舞台生命の再生
星空の下のミュージカル
日本のミュージカル舞台  その芸術性と大衆性の深度
「ニコラス・ニクルビィ」との八時間半
立ち去っていった少年詩人
ローリングしなかったミュージカル
前衛オペラの二極点
夢みた男たちの成果
オセロ役者の系譜
冬を裂く舞踊の熱気
ジミーは戻らなかった
二人の舞台人  ストラスバーグとデ・ミル
ダンスマガジン賞の受賞者たち
トニー賞にすべり込んだ「ナイン」
ニューヨークの日本晴れ
神の子らの錯乱  新人作家の二作品
イプセン劇の明暗  生きた「幽霊」と死んだ「人形」
猫の秋  ブロードウェイ戦線異常あり
SFミュージカル「キャッツ」
光るイギリス演劇  「グッド」の良さ
ブロードウェイ・ブルース  ホリデー・シーズンの悲劇的様相
マーリン! 危機一髪  二つのプレビュー舞台
テネシー・ウィリアムズの死
ブロードウェイのマカロヴァ  歴史的舞台の体現
サイモンの新人生喜劇
才人たちの競演  トレヴァー・ナンとミン・チョン・リー
トニー賞をめぐって  「猫」に食われなかった人たち
辺境に立つサム・シェパード
独立記念日のステージ
ミュージカル・エイジを迎えた日本の場合
ミュージカル・サマー・シアター
ジプシーたちの精気  二つの非凡なミュージカル
コーラス・ダンサーに栄光あれ
現像をめぐって  「カルメン」と「ゾルバ」
浮かばれなかった「マリリン」と生誕した「ベイビー」
不滅への里程標  老優の活躍
劇評家の存在が意味したもの  ブルックス・アトキンソンの死
肉はどこだ?  二つの和解ミュージカル
「本物」の舞台と本物でなくなった舞台
ダスティン・ホフマンの「セールスマンの死」
ブロードウェイの生成
トニー賞一覧
ブロードウェイ劇場地図
ブロードウェイ劇場プロフィール
あとがき


【まえがき】

本書でもって、「ブロードウェイ」と冠した二冊の書物を私は世に問うたことになる。それは一九七五年から八五年に至るワン・ディケィド…ほぼ十年間のステージ・レポートに当たる。
この十年間に起こったブロードウェイの変貌を、後世、史家はどんな巨視的観点から何といって評価するか知らないが、微視的傍観者の立場からみても、幾つかの変革や発展、それにともなう危険感をも、もたらすものであったことは、いまや、明瞭である。
例えば、ブロードウェイを代表するミュージカル・ステージの変容…物語性が薄れてダンス・ナンバーが主導するブックレス・ミュージカルが隆盛をきわめ、演劇舞台も、ベトナム戦後物のから、広汎な家庭崩壊劇や新しい性意識の確立を促した舞台など、時代意識の開拓を背負った問題の提示や、スタイルの確立などが為された。
更に、コンピューター時代の到来による劇場や舞台の在り方の変化は、新しい演劇空間の設定や、新感覚な演出法、ロングラン・システムへの新しい活力を生むものであった。
こうした文明や文化意識の推移を、吸収し、表現してきたのがブロードウェイの舞台であり、演劇社会の営為であった。しかし、いずれにしろ、その核として演劇エネルギーを凝縮させるものは、社会と演劇人たちによる創造力…クリエイティブ・パワーの結集にほかならない。
オフで生まれた「コーラスライン」が、今年で十年目のロングラン記録を樹立し、現在もなお記録更新中である。だから、この十年は、ひと口にいって“コーラスラインの時代だ”といえるかもしれない。
変わったといえば、日本におけるブロードウェイ受容にも大いなる変化があった。居ながらにして、日本でブロードウェイの舞台が、ともあれ、観賞できる時代になった。反面、過剰なブロードウェイへのヒート・ウェーブが舞台を堕落させたり、実体をゆがめるといった現象も起こしているのを否定できない。
私のささやかな観劇記は、いわゆる“ブロードウェイ”の舞台に限定したものではない。それはひとつのキィ・ワードに過ぎず、関心のおもむくままに、ひろくパフォーミング。アーツを捉えようとしたことは、熱心な読者ならお気付き下さっていると思う。
ひとつの舞台のもたらす、多彩で複雑な人間や社会の表象は、簡単に割り切れ、処理されるといったものではない。観劇という一箇の営為は、文化層のうろこの一片を剥がす試みに他なるまい。
私の視野には、舞台を生む人たちの創意や、それを成立させているニューヨークという街のもつパフォーミング・アーツ社会の、母体への関心を抜きにしては、舞台への陶酔もないのである。
それと共に、ここ数年、老朽化してきたブロードウェイの劇場街と、そのそばに新築中のマリオット・ホテルを眺めながら、“ニュー・ブロードウェイ”とは何であるかを私は考えさせられてきた。質・量を含めて、これからの演劇の在り方、文明社会の中心における文化ゾーンとしての劇場や演劇の在り方への変革が、現在のブロードウェイの差し迫った課題としてみえている。
この世紀末に向うブロードウェイ演劇社会に迫られた大英断と挑戦のドラマは、ニューヨークの文化意識の根元を問う歴史的事件でもあるだろう。


一九八五年盛夏
大平和登
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by zatoumushi | 2007-10-19 21:08 | ■和書■
★ブロードウェイ  BROADWAY 1975-1980

大平和登 箸 

作品社 刊

1980年11月15日 発行

269p

\2000


【目次】

まえがき
ライザ・ミネリの「シカゴ」
コメディエッタ
パシフィック・オーバーチュアーズ
舞台に花開くK・ヘップバーン
リバイバル作品の楽しさ
シャーリー・マックレーンの魅力
ジュリー・ハリスと「アムハーストの麗人」
ミュージカル「風と共に去りぬ」
三文オペラの幻想
喜劇万歳
ブラック・ミュージカルへの疑問
二つの問題  「失墜者たち」と「黒人の少女のために」
プレストン・ジョーンズ「テキサス三部作」の登場
狂気の芝居  「哀れな殺人者」
ピエロの怒りとナイティンゲールの嘆き
不作のミュージカルとゼロ・モステル
前衛作家の活躍  モンクとスエードス
前衛芸術と観客  マース・カニングハムの成功
二つのイギリス現代劇と「ピアフ」
「桜の園」満開
リブ・ウルマンの「アンナ・クリスティ」
ピカレスク・アドベンチャー・ミュージカル「アニー」
トニー賞と「THE SHADOW BOX」
道徳劇の今昔
アル・パチーノの力演と大人のミュージカル
知られざるコール・ポーター
スティブン・ソンドハイムのミュージカルの世界
カナディアン・ミュージカル「赤毛のアン」
占星喜劇と追悼の夏
「ヘヤー」の失落と二つの異色舞台
ライザ・ミネリの力演ミュージカル
失敗したウェスカーの新作とシアター・キャバレー
コミック・ピアニストとピランデルロの異色作
「ドラキュラ」たちの季節
チャップリンの死・想い出の夏
ミュージックホールの閉鎖とミュージカルの復活
カフカの想念を定着した「K」
日本に縁のある舞台・彼我の距離  三島由紀夫の二作
二つのミュージカル新作
花咲くフォッシーの舞踊家魂
花びらの舞うが如く
人生の「第二章」
ミュージカルの社会性
日本人の書いた英語劇とアメリカ人の書いた日本劇
ダグ・ヘニングの幻視・幻想の世界  新マジック
ミュージカル「心の王様」とオフの「人形姉妹」
さまざまな秋の彩り
五十年後の再会劇「かわせみ」
力作「人と超人」ほか
ストリートソングと石の囁き
新作ミュージカル「スィニー・タッド」
ディアギレフへのオマージュ
ニューヨークで評価された安部前衛劇の独創性
トニー賞受賞作「エレファント・マン」
「ママの想い出」と「リチャード三世」
トム・ストッパードの冒険的試み
翔んでる女優サンディ・ダンカン
「エヴィタ」のために泣かないで
ブロードウェイの切符の求め方
一九七五年ブロードウェイ・ストライキ
トニー賞一覧
ブロードウェイ劇場地図
あとがき


【あとがき】

本書は、当時「キネマ旬報」の編集長であった白井佳夫氏のすすめで同誌に連載をはじめた「ブロードウェイ通信」より選んで一本化したものである。
“ブロードウェイという名前が有名なわりには、舞台の実体が知られていない、自由な形でよいから紹介してみないか”という白井氏の意図を汲んで、月二回発行の同誌に一号おきに連載をはじめ、やがて、これも旧知の黒井和男編集長の時代になって毎号連載をしはじめ、現在も続いているが、早いもので既に五年経つ。
表題は、私としては原題通りの「ブロードウェイ通信」とすべきことに固執したが、出版社の要請もあり、表題にした。「ブロードウェイ」と題した本には、十年くらい前に出版されたブルックス・アトキンソン氏の労作がある。私も、私流のブロードウェイ史をいつか書かねばならないと考えているが、そのときは、本書とは全く違った文体で書かれなければならないと考えている。
だから本書は、観るという行為も創る行為に照応する情熱や好奇心でもって為されなければ、とひとり決めして舞台に対峙してきた、まことにささやかな、ブロードウェイの舞台を未見の日本の愛好家の皆さんへ宛てた報告書である。
それにしても、日本におけるミュージカルの可能性は如何にとか、実生活を批評し、空洞化した実生活を生き生きと甦えらせる舞台への過剰な夢を夢みることで過ごした若き日の一時期の熱い想いは、ときに舞台を見下す冷やかな視線に転じることもあるのだが、願わくば、舞台を観る温かい視線がそのまま自分の浄福の時と化し、文章のうえに、少しでもそのぬくもりが残らんことをと心がけはしたのだが……(後略)


1980年 9月20日
ニューヨーク・ルーズベルト島の小居にて
大平和登
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by zatoumushi | 2007-10-19 15:38 | ■和書■
★ブロードウェイ!ブロードウェイ!

大平和登・荒井良雄 箸 

朝日新聞 刊

1985年11月20日 発行

255p

\1200


【目次】

はじめに

ようこそ! ブロードウェイへ

ミュージカル共和国の住人たち

ブロードウェイを動かすシステム

アメリカ演劇の系譜の中で

ブロードウェイを育てた厳しい批評

コメディーを中心に

ブロードウェイの過去と現在

ブロードウェイの新しい動き、そして日本

アメリカン・ドリームの世界

おわりに

索引(巻末)


【おわりに】

もう一昨年のクリスマスのことになるのだが、当時、学習院大学の英文学の教授をしておられた荒井良雄氏がニューヨークに来られ、一週間のうち、顔を合わせるごとに、ブロードウェイやアメリカ演劇についての話をしよう、ということになった。特に、準備をして話し合うという周到な計画もなく、いわば出たとこ勝負で、話し合いの雰囲気を尊重しよう、そのために、荒井氏の久しぶりのブロードウェイの観劇の前後に時間をとって、あちら・こちらと場所を換えて話し合うことになった。だから、充分、まとまった話は出来なかったきらいはあるが、あまり前例のない、対談のパフォーマンスになったと思っている。“いうなれば、ト書き対談ですな”といって笑いあったものである。
流動性のある演劇社会のニュアンスや、複雑多彩なアメリカやニューヨークの演劇社会の過去と現在を充分に語りつくすことは至難なことだが、アメリカ演劇、わけても“ブロードウェイ”と呼ばれている、ニューヨークのパフォーミング・アーツの世界への認識や親しみを持っていただく上でのささやかなヒントになれば、対談者の願いは果たされるのである。
荒井教授は、この対談を持った翌春、『英語英文学と共に』というエッセイ集を出版され、住み慣れた目白の学舎から退職されて、新しい学究生活に入られた。氏の普段の顔はよく知らない私にも、氏が、例えば、シェイクスピアをたんに作品の上で通暁しておられるだけでなく、生きた舞台の上での、パフォーマンスとしてのシェイクスピアを把握しておられる貴重な学究であることを知っている。
そういう舞台好きな方と、あたりかまわず喋り合えた舌福感は、思い出すだけで楽しい年末のひとときであった。
その対話のテープを整理して、活字化された朝日新聞社出版局の柴野次郎氏には、たいへんな迷惑をかけたに違いない。朝日新聞社ニューヨーク支局の方々のお力添えと共に、ここで改めて厚くお礼を申し上げたい。


一九八五年晩夏
大平和登
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by zatoumushi | 2007-10-19 00:01 | ■和書■