日本のミュージカルのために。。。


by zatoumushi
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★努力しないで出世する方法
(東宝ミュージカル特別公演)

@新宿コマ劇場

東宝 製作

1964年 7月 2日〜28日

初演


【掲載内容】

御挨拶 / 菊田一夫

演出雑感 / 松浦竹夫

「努力しないで…」とアメリカのビジネスマン / 倉橋健

たのしきかな! ミュージカル / 福田定良

「努力しないで出世する方法」の努力 / 山本柴朗

ブロードウェイ通信:ブロードウェイの出世頭は? / 上西信子

この豊富なキャスト / 大沼正


【御挨拶】

「努力しないで出世する方法」 (HOW TO SUCCEED IN BUSINESS WITHOUT REALY TRYING)新宿コマ劇場に於ける東宝の自主公演。日本の芝居では考えられないほどの長い題名でございます。
私はブロードウェイに於いて、此のミュージカルを二度見ました。最初は、これが初演されて間もない1962年 7月。次が、ことしの 5月。感心したのは、3年間続演しているその間に、舞台が見ちがえるほど面白くなっていることに対してでした。(初演年度も、もちろん面白かったのですが、それより遥かに…)日本では普通芝居というものは、初日から10日目ぐらいにかけて次第に芝居がかたまって面白くなり、それ以降は惰性のように見えることが多いのですが、このミュージカルは3年たって、続演して、はじめより3年目のほうがずっと面白い。演出家の手直しもあり、俳優の努力もあるのでありましょう。観客は舞台に対して、まるで自らの生活を見ているように親近感をもち、そして、一語、一動作ごとに、わあわあと心をひらいて笑う。うなずく。…ミュージカルとしたらこんな面白く楽しいものは他にないのではありますまいか。サラリーマンの生活というものは東西を通じて変わらず、サラリーマンの出世慾またしかり、そして、出来るならば努力の汗はかきたくない、というのも古今東西を通じた人間のわがままでございましょう。ブロードウェイの演出は奇智溢れるものでございましたが、此の公演に於いても、それに劣らない、ある部分は現地よりも勝れたものを見ていただけると存知ております。ミュージカルとは、楽しくあることが、まず最初の条件でございます。しかつめらしい顔は今宵だけはお捨てになって、心からおたのしみ下さいますように…


昭和39年 7月
東宝株式会社専務取締役
菊田一夫
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by zatoumushi | 2007-10-12 01:05 | ▼プログラム▼
★ノー・ストリングス
(東宝ミュージカル特別公演)

@芸術座

東宝 製作

1964年 6月 6日〜 8月19日

初演


【掲載内容】

御挨拶 / 菊田一夫

ぼくのミュージカル概念を破った「ノー・ストリングス」 / 草壁久四郎

「ノー・ストリングス」とファッション / 大内順子

NO STRINGS / 永六輔

「ノー・ストリングス」で思うこと / 松浦竹夫

Gパンとミュージカル / 須川栄三

アメリカで見た「ノー・ストリングス」 / 荻昌弘


【御挨拶】

「マイ・フェア・レディ」の上演権を入手。これの上演。そして成功…ということによって、日本にも、やっとミュージカル・プレイの開花が見られようとしております。これは、そのアメリカ・ミュージカル移入公演の第二弾。“ノー・ストリングス”の公演でございます。
この作品のブロードウェイ公演を見たのは初日間もない1962年 7月でございました。ミュージカルの王者として知られている作曲家リチャード・ロジャースが…それまで、いつも組んでいたハマ・シュタインに死なれ、ロジャースはもう駄目ではないかと噂されていながら…その相棒のハマ・シュタインに死なれたあとの第一作が此の“ノー・ストリングス”なのでございます。ニューヨークの新聞が、ロジャースはハマ・シュタインがいなくても、これをやりとげた…と書いたのは、此の作品の初日に対する批評でございました。
王者ロジャース。巨富に恵まれ、何軒かの別荘を持ち、そしてお年寄り…その人にこれだけの水々しさ、若人の感覚があることに、つくづくと頭が下がります。
私が“マイ・フェア・レディ”をやると発表した時、どうして“マイ・フェア・レディ”なんぞやるんだ。なぜ“ノー・ストリングス”をやらないのか、と、何人かのアメリカ帰りに言われたこの作品を(…なぜ“マイ・フェア・レディ”を先にやったかは、いずれ別の機会に御説明するとして…)どうか、終わりまで、じっくりとお味わい下さいますよう。お帰りには、劇中の歌の一ふしを、どうかお口吟さみ下さいますよう。
“マイ・フェア・レディ”は一言にしていうなら「これがミュージカル」
“ノー・ストリングス”は一言にしていうなら「これこそミュージカル」
どうぞ、御ゆっくり。


昭和39年 6月
東宝株式会社専務取締役
菊田一夫
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by zatoumushi | 2007-10-12 00:50 | ▼プログラム▼
★カーニバル
(世界ミュージカル・シリーズ第一回公演)

@芸術座

東宝 製作

1963年10月26日〜31日

初演


【掲載内容】

御挨拶 / 菊田一夫

演出にあたって / フランキー堺

「カーニバル」のこと / 清水俊二

「カーニバル」をもう一度 / 真木小太郎


【御挨拶】

“マイ・フェア・レディ”の公演によって、初めに思ったよりも遥かに大きな成功を得た私達は、その成功を良き薬とすることを考えました。
ミュージカル向上のための薬とは、脚本を早くから整え、よき音楽を揃え、熱心な稽古を積み重ねることであると思います。そのために私達は、すでに実験ずみの台本を選ぶことにいたしました。
“カーニバル”はブロードウェイに於いて、三年以上も続演し、現在も公演中のミュージカルでございます。私達は此の上演権を手に入れ、そして“カーニバル”の上演のために“マイ・フェア・レディ”と同じだけの稽古日数をかけました。演出は此のミュージカルをブロードウェイに於いて、すでに見学してきたフランキー堺君です。彼ははじめ、一俳優の私が、と、謙虚な気持ちから固辞しました。しかし此の演出が彼の演技にも大きくプラスすることを考え、そして、これから後、東宝は数多くのミュージカル演出者を持たなくてはならないという意味から、無理にも、と、彼に労を強いた訳でございます。
これは“マイ・フェア・レディ”とは、また形の異なるアメリカ・ミュージカルです。娯しく御賞味下さることをお願いいたします。
東宝は、この試みを年に数回、つづけて行います。やがて来る“ミュージカルの時代”に備えて…


昭和38年10月
東宝株式会社専務取締役
菊田一夫
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by zatoumushi | 2007-10-12 00:00 | ▼プログラム▼
★マイ・フェア・レディ

@東京宝塚劇場

東宝 製作

1963年 9月 1日〜29日

初演


【掲載内容】

御挨拶 / 菊田一夫

「マイ・フェア・レディ」所感 / 小泉信三

アメリカのしばい・日本のしばい:演劇の交流ということ / 倉橋健

そのもとの作者 / 福原麟太郎

「マイ・フェア・レディ」への期待 / 杉山誠

【御挨拶】

懸案の“マイ・フェア・レディ”を上演いたしますに際しての感慨は、とにかく、これで、日本のミュージカル運動に一つの礎石をおくことができた。と、いう極めて素朴なものでございます。
かと言って、私は決して、いままでの日本のミュージカルに不必要な卑屈感も抱いておりませんし、尊大な自負心も感じてはおりません、あれはビルディングの建築で言えば、地下の基礎作業であったのです。あれはあれでよかったし、必要な過程であったし、今後でさえもあのような工事は、しばしば行われるでありましょう。
が、大きな建物は礎石が要る。けじめが要る。そのけじめをつける作品としては、実にこの作品“マイ・フェア・レディ”は、世界のミュージカル界に於いての最優秀な記録的な作品であるということにおいて、まことに適切な、数字通りそれにぴったりの作品であると考える次第です。
私がニューヨークで、はじめて此の作品を見たのは、昨年の7月でございました。ロンドンで全市公演中のこれを見たのが10月、その足で再度ニューヨークへいって、(此の時は、もう此処では、7年数ヶ月にわたる長期公演が終わったところでした)その時はじめて、此の作品の著作権保持者に上演の許可を願い出ました。
アメリカの優れたミュージカル作品の見本として、そして日本の観客の皆様にとって肌合いのぴったりと合う作品として、これ以上のものはないと、信じたからでございます。
日本のミュージカル運動は、すでに、発足いたしております。しかし此の公演からも、また一つの形が発足いたします。
永い、遠い日の、日本のミュージカルの発展のために、あらゆる困難を排除して、東宝はこれを上演いたしました。日本のミュージカル界は、やっと、とにもかくにも、これを上演できるところまで進歩発展してきたのだ、とも言えましょう。
採算の点からだけ言えば、純日本製ミュージカル作品のほうが、いまや、むしろ、はるかに、それこそ笑いが止まらないほど算盤に合うのだ、ということだけを申しあげます。
大衆のための興行会社である東宝は、それを誇りといたしております。


昭和38年 9月
東宝株式会社専務取締役
菊田一夫
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by zatoumushi | 2007-10-11 23:32 | ▼プログラム▼
★スクリーン特編版 ザ・ミュージカル
      ブロードウェイ・ハリウッド・トーキョー

小藤田千栄子 監修

近代映画社 刊

1986年 2月15日 発行

146p

\1680


【目次】

ブロードウェイ・ロンゲストラン「コーラスライン」
 その背景・構造・キーワード…………………………………青井陽治

ブロードウェイがやってくる
 本場の「コーラスライン」日本上陸

ブロードウェイでただいまロングラン…………………………堤夏彦

最新ダンス映画「ホワイトナイツ/白夜」紹介………………堤夏彦

ミュージカル映画名作集1 ステージからスクリーンへ……渡辺祥子

ミュージカル映画名作集2 映画のためのオリジナル………柳生すみまろ

フレッド・アステアとジーン・ケリー…………………………双葉十三郎

ダンシング・ナウ!………………………………………………渡辺祥子

ブロードウェイ・ミュージカル
 日本上演ロングラン・トップテン……………………………小藤田千栄子

ブロードウェイ・ミュージカル
 日本上演 86カレンダー

ミュージカル・ビデオ全カタログ………………………………日野康一

86ブロードウェイ展望…………………………………………大平和登

ブロードウェイのニューリーダーたち
   スター………………………………………………………堤夏彦
   作詞・作曲家………………………………………………川上博
   振付・演出家………………………………………………柴邦夫

ブロードウェイ・ロングラン・トップ30……………………堤夏彦

オフ・ブロードウェイのヒット作

ミュージカル・エッセー「私のブロードウェイ」
      淀川長治/水野晴郎/大地真央/前田美波里/野口五郎

「コーラスライン」の20人……………………………………藤田篠

プレイバック・アンソロジー……………………………………筈見有弘

ブロードウェイ・ミュージカル
 日本上演徹底リスト……………………………………………風早美樹


【本文より】

ブロードウェイ・ミュージカルのロンゲストラン作品「コーラスライン」の日本上演が決定した。劇団四季の上演でおなじみ、さらには映画版も公開されて、内容もすっかり浸透した作品であるが、いよいよ本場カンパニーの来日である。
なんといっても話題は、オリジナル・キャストのキャシー役ドナ・マッケックニーの来日である。この役でトニー賞ミュージカル部門の最優秀女優賞に輝いた素晴らしいダンサーだ。彼女を中心に選びぬかれた十七人のダンサーたちが、これぞブロードウェイのダンシングを見せてくれるはずである。
上演は86年五月二日から三十一日まで新宿コマ劇場。この時期には振付・演出のマイケル・ベネットも来日し、一行は六○人。「コーラスライン」の来日公演は、日本のショー・ビジネス界に大きな刺激を与えるだろう。


「ザ・ミュージカル」本場のコーラスライン日本上演 より
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by zatoumushi | 2007-10-07 18:24 | ●雑誌●
★ミュージカル・コレクション  ブロードウェイ―ハリウッド―東京

小藤田千栄子 著

講談社 刊

1986年11月 4日 発行

360p

\2000


【目次】

マイ・フェア・レディ  カーニバル  ノー・ストリングス
努力しないで出世する方法  アニーよ銃をとれ
ウエスト・サイド物語  サウンド・オブ・ミュージック  王様と私
ハロー・ドーリー  キスミー・ケイト  南太平洋
心を繋ぐ六ペンス  メイム  ファンタスティックス  オクラホマ!
屋根の上のヴァイオリン弾き  オリバー!  結婚物語
ラ・マンチャの男  回転木馬  ヘアー  スカーレット
赤毛のアン  プロミセス・プロミセス  スイート・チャリティー
タッチ  アプローズ  イルマ・ラ・ドゥース
ジーザス・クライスト・スーパースター  シュガー  日曜はダメよ!
旅情  ブリガドーン  ヴェローナの恋人たち
ロッキー・ホラー・ショー  ピピン  ザ・ウィズ/オズの魔法使い
君はいい人、チャーリー・ブラウン  グリース  セレブレーション
アニー  ゴッドスペル  アップル・ツリー  シーソー
地球を止めろ、俺は降りたい  アイ・ラブ・マイ・ワイフ
リトル・ナイト・ミュージック  ビートルマニア  コーラスライン
ファニー・ガール  ローマで起こった奇妙な出来事  ディーン
旅立て女たち  ザ・クラブ  スウィーニー・トッド  ピーターパン
キャバレー  ミズ・今年最高の女性  エビータ  ジャック
ダンシン  パジャマ・ゲーム  ジプシー  ナイン
アンデルセン物語  シェルブールの雨傘  タンジー
ソフィスティケーティッド・レディーズ  シカゴ  キャッツ
ボーイ・フレンド  デュエット  リトルショップ・オブ・ホラーズ
ガイズ&ドールズ  ベイブス・イン・アームズ
チャーリーはどこだ?  ラ・カージュ・オ・フォール  ラブコール
マイ・ワン・アンド・オンリー  キング・オブ・ハーツ  ベイビー
テイキング・マイ・ターン/人生はこれからだ
ケンタッキーの我が家/フォスター物語  ザ・ミュージックマン
紳士は金髪がお好き  スヌーピー!!!  踊れ艦隊のレディたち
くたばれヤンキース


【あとがき】

一九六○年代は、ふつう演劇の世界では、小劇場あるいは小劇場運動の始まりとされている。とりわけ後半から七○年代にかけての、新宿界隈の、あの熱い光景は私もよく記憶しているが、同時に六○年代は、今に至る
〈ミュージカルの時代〉の始まりでもあった。きっかけは映画の「ウエスト・サイド物語」であったろう。いうまでもなく私も夢中になったクチである。だが、もっと大きなターニング・ポイントは、ブロードウェイ・ミュージカル「マイ・フェア・レディ」の日本上演であった。初日の夜の感激…。今日につながる〈ミュージカルの時代〉は、すべてイライザの物語から始まっているのである。ここでは、その「マイ・フェア・レディ」から、一九八五年十二月までに日本初演された、ブロードウェイを中心とした外国製ミュージカルの足跡を、作品別に追ってみた。いまさら言うまでもないが、映画と違って演劇は、千秋楽が来れば、それでおしまいである。どんなにロングランをした作品であっても、千秋楽が来れば、役者さんたちは散り、セットはバラされて、ほんの数時間前の華やぎでさえ、そこには残っていない。だが、素晴らしい舞台は観客の記憶の中で、永遠の輝きを放つものなのである。あの舞台も、この舞台も、記憶の中では、さらなる輝きを増していく。そしてこの本では、そんな輝きの片鱗を集めてみた。あれもよかった、これもよかったという、これは観客席からのレポートである。同時にこの本では、映画化されているものは、映画版についてもふれてみた。まず映画から親しんでいる作品も多いし、それに自分をも含めてミュージカル・ファンは、軽くクロス・メディアをしてしまうからである。そして何よりもここでは、映画とか演劇とかいうメディアの問題ではなく、ミュージカルというジャンルの魅惑について、あらためて考えてみたかったからでもある。
この本を書くにあたっては二十数年分の資料をひっくり返し、観劇当日のメモや日記を読み直した。しじゅう上演作の一覧表と、にらめっこをしていたわけだが、つくづく思ったのは、年を追うごとに作品数が増えてきたことである。初期の頃は、次はいったい何を見せてくれるのか、それはもう楽しみだったものである。初日を見てはミュージカル仲間と情報を交換をし、また見に行って、こんどはどうだったかを話し合い、千秋楽には、みんな顔をあわせたものだった。ヒマだったということもあるが、思えば幸せな草創期だった。私たちの世代のミュージカル・ファンは、こんな時代にスタートしたのである。
あの頃から、ずいぶんといろいろなことがあった。ブロードウェイが近くなったという感覚もそのひとつだろう。夢のまた夢だったかの地に、なんとこの私までが、ほんの数回だが行けるようになったし、来日公演も増えている。
スターの成長や、作品の変遷を見るのも大きな楽しみだった。二十二歳で「王様と私」に出演した市川染五郎は松本幸四郎丈となり、「屋根の上のヴァイオリン弾き」の子役たちは、十数年後にはホーデル役になった。その「ヴァイオリン弾き」の森繁久弥氏の、いまにして思えば初々しかった初演の頃から“さよならテヴィエ”まで、ほぼ二十年、見続けることができたのも大きな幸運だった。「キャッツ」一作品のために、劇場まで建ててしまうシステムのすごさも、小さな劇団の健闘も、みんな同時代を生きることのできた幸運をかみしめてもいる。だが、時の流れは貴重な担い手を奪いもした。東宝ミュージカルのリーダーだった菊田一夫氏、ミュージカルの女王と言われた越路吹雪さん、「マイ・フェア・レディ」の日本オリジナル・キャストだった江利チエミさん…。書いている間じゅう、この方たちの仕事が思い出されてならなかった。
映画版はでき得る限りビデオで見直し、日本未公開の作品に関しては、これもでき得る限りビデオの入手につとめた。ビデオで昔の映画を見るたびに、なんという時代になったのだろうと思わざるを得なかった。そのむかし私たちは“日本最後の上映”というポスターを見るたびに、なにはともあれ映画館にかけつけ、生涯でこれが最後と本当に信じていたのである。

出版のきっかけは、かつてキネマ旬報社で机を並べた塚原稔氏がつくって下さった。現ブルーリヴァーの塚原さんが、講談社の古屋新吾氏をご紹介下さり、ここに本にすることができた。本当にありがとう。こんなうれしいことはございません。編集担当はブルーリヴァーの西角建男氏。原稿遅れてしまって、ご迷惑をおかけ致しました。それから舞台写真を提供して下さった各社・各団体の方々、みなさん本当にありがとうございました。


一九八六年六月 小藤田千栄子
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by zatoumushi | 2007-10-04 20:09 | ■和書■